0613

普遍的

ツイッターで三井記念美術館へ行った時に思ったことを書いた。

「三井記念美術館、初めて行きましたが素晴らしかった。『普遍』とは何かを見た気がします。大胆なアプローチ、繊細な技術、地に足のついた発想。それらを支えて包み込む完璧な像。」

三井家がコレクションしたごくごく一部の茶道具の一群を見ながら、僕の思う「普遍」が持っている特徴はこういうことではないかと、仮説よりもう少しはっきりした確度でそう思ったのだ。

決してありふれていない視点。自分の世界から、常に切る様に、突き通す様に、世界を見ている。そこから生まれたものは、時に他人を驚かせるほど大胆だ。

気が遠くなるほどの素材探しから(またはその物がある故)、幾重の下拵え、執念に裏打ちされた経験と精緻な技でなければ、泰然と時を過ごし続ける強度を持つものを生み出すことも不可能なはずだ。

そして生み出す動機は単純でなければならない。自分の経験や身体から地続きである様に感じる発想に、なぜ作ったのかの説明は不要に思える。必然や偶然もなく、むしろ純粋な欲求、イノセントさを感じる。

そして、圧倒的に自然な像。線と質量で佇まいを構成してしまう洞観の力。人間が、その手から自然な(ありのままな)像を創ることこそが奇跡に感じる。

ジャンルはいろいろあれど、僕が今思う「普遍」の本質とは、おおよそそう言うものではないかと思っている。

生きている間、僕は普遍的でありたいと願っている。

「ブランディング」ってこういうことだと思ってるんです。
日本橋ではまだ着物の方を見かけるように。

LOBBYオーナー兼クリエイティブディレクター
長嶺俊也